ミャンマー友好の旅
現地報告書
ミャンマー旅行記
相本 真菜
生まれたての夕日のオレンジ色、
ヒラヒラとはためく紫と緑の民族衣装、
ガタガタと揺れるジープは砂で黄土色、
白いタナカ、
そして、チョーカインさんの笑顔、
タウキンキンダさんの笑顔、
アウンサンの笑顔、
笑顔、笑顔、笑顔・・・。
私は、これらを思うと一瞬のうちにミャンマーに戻れる。
色鮮やかなミャンマーの思い出たち。
どんな事でも知りたいし、やってみたいと思う。とにかく自分で体験したい。
日本を出て、海外に行くというのはそういう事だ。
思いっきりチャレンジする。何でも珍しく、楽しく、感動する。
ミャンマーの人にとって当たり前の出来事も、わたしにとっては非日常。
今目にしているものはよく理解できないにせよ、
私自身にとってみれば新しい可能性を秘めた何かだと本能的に感じるのだ。
単純にいうと、「ミャンマーっておもしろい!」という事に尽きるのだが。
今から書くのは、そのほんの一部。
その1「パゴダに登った」
それは、夕日を一望できる場所。
バガンに立ち並ぶパゴダをバックにして繰り広げられるショーである。
そう、まさにショーを楽しみにするような感覚で、私は登ってじっと待った。
“登る”といっても色々種類があるが、私は“よじ登り”スタイルだった。
何しろパゴダの石段は急で、高くて、階段の幅はせまい。
思わず息が切れる頃、うっすらと汗をかいて(所々冷や汗も)頂上に着いた。
人が動物が小さく見える。パゴダで休む人々も、一生懸命登る観光客も。
そして 眼下に広がるは果てしないはこういうことなのだろうと思うような空、
さらにあちらこちらにポツポツと立つパゴダ。
自分が偉くなったような気がする。
とその時、おばあちゃん達の一行が登りきった。
誰かれとなく拍手が起こった。
みんながショーを楽しみにしている。
だからこそ、パゴダのてっぺんにはエネルギーが満ちている。
ショーは始まった。
どこまでも続く空。広い広い空がオレンジになり、あっという間に暗くなる。
当たり前の事だけれど、夕日を見るというだけで人々が集まってくるというのを
もうどれ位やっていないだろう。
私達はさみしい。とてもさみしい。
高いビルに夕日はさえぎられ、キラキラした明かりに星は見えない。
だからこそ、ミャンマーの人の日常に感動する心がある。
当たり前とはとても思えない。素晴らしい一瞬。
空が自由きままに塗り変わり、さっきまで隣にいた人の笑顔がオレンジに変わり、
薄暗くなり、見えなくなった。
その2「パゴダを下りる」
登る時はがんばる。前をみて、空を見上げているからがんばれる。前向きだ。
下りる時は必死だ。幅の狭い階段が、“できる”という気持ちをも狭くする。
そろりそろりと下りていく。
ふと、悠久のかなたへ思いを巡らせる。
このパゴダを作った人々は苦労しただろう。現代のようにモノがない時代。
確かなものは、1つ1つの石の積み重ねだ。
当時の彼らにとっての夕日は、仕事が終わる合図だったのだろうか。
時には仕事が上手くいかず、恨めしく思う時もあったのだろうか。
夕日はどんな時代のどんな身分の人にも平等に見せてくれる。
と、思ううちに足が地面に着いた。何だか、ほっとした。
私が登った後も下りた後も、ごちゃごちゃと考えている間も、
はたまた私よりはるか昔の人が登って下りた後も、きっとそう。
ミャンマーは変わらずに時をゆっくりと移す。何だかちょっと悔しい。
その3「ジープは行くよ、どこまでも〜チン州を目指して〜」
歩いている、歩いている。ただ、ひたすらに女も男も歩いている。
しかも、何か重そうなものを背負っている。
それを車上から、馬力のあるジープの上から見下ろす自分がちょっと気恥ずかしい。
(山道を歩けと言われたら音を上げるだろうが)
珍しいものをいつも見ていたいわたし。
体験できるなら、何でもやってみたいわたし。
ところが、そんな私達が実は一番珍しいのだろう。
みんなが見てる。声をあげる。ジープを追いかける。
ただ、目が合うとニコッとしてくれる。それが、とてもうれしい。
ミャンマーを知るには、どうしたら良いのだろう。
それには、実際にミャンマーの人と接するのがふさわしい。
何を食べて、何を着ているのか、どんなものが好きなのか、
どんな恋愛をするのか。とても、気になる。
ジープで一体何時間走っただろうか。
運転手は寡黙なアウンサンお兄ちゃん。
助手席から見える横顔が江口洋介に似ている。
必需品はビンロー。眠くならないように。
ただ、ひたすらに太陽の下、砂を巻き上げて進む。
休憩するたびに、笑う。皆、砂で髪を染めたようだから。
いくつもの町を超えた。
その1つ1つの町に立ち寄りたいくらい大小いくつもの町を通った。
時にはごはんを食べに、ジープを下りる。
その先々で友達ができる。果物をもらった。言葉も教えてもらった。
何て良い笑顔をするんだろう。
皆がまた戻って来いよ、帰りに寄りなさい、と言ってくれる。
私はうれしくて、また戻りたくなるのだ。
紙風船は偉大だ。軽くて安くて、色がきれいだ。
これで何人の子供達と遊んだか。
子供とは言葉が通じなくても、きっちり遊ぶ事ができる。
絵を書いたら、「それはウサギ」とちゃんと伝わる。
紙風船なんて、すぐコツを覚えるくせに兄弟全員と私で戦った。
決して手を抜く事はない。彼らに対して失礼だから。結果は、引き分け。
逆に教わる事もたくさんある。
兄弟皆が台所で仕事をしている。私もかまどの火の燃やし方を教えてもらう。
とれたての魚のさばき方を見せてもらう。
台所には日常の文化であふれていた。
台所では彼らはいっちょ前の主人だった。
お祭り半ばで岐路に着く途中、明け方にその家で最後のご飯を食べた。
皆が見送りに出てきてくれて、家族写真のように集まって写真をとった。
さみしかったけど、うれしかった。
気付けば、有名なパゴダに行った事、お祭りに参加した事、
それらが負けてしまう位、ミャンマーで一番輝いている思い出は友達だった。
余談だが恋愛について。解説はアウンサンお兄ちゃん。
「チンの星空と山があればどこでもデートができるのさ」
ロマンチックなお言葉。チンの星空は暗闇を照らすのではなく彩るから。
つまり、真っ暗という事。
その4「お祭り〜昼編〜」
急速に、世の中は変化している。
だから、時間はいつのまにか伝統を生んでいる。
ミャンマーのお祭り(セレモニー)に出席した。
外国からのお客さまは私達とアメリカ人の老夫婦。
威風堂々、伝統的な衣装に身を包んだ男女が立ち並ぶ。迫力満点。
こうした大人の姿が、次の世代に伝わる。
ミャンマーの大人はこうやって、ビシッと決める所がある。
本当は自分も遊ぶのが好きなのに。
大人らしくキメる所はキメる、遊ぶ時は遊ぶ。
そんな信頼できる大人、かっこいい大人がたくさんいるから、
素直に伝統は受け継がれて行くように思う。
祭りを非日常なものとして楽しむ人。
皆で集まり、思いきり遊ぶ機会であり、自分を表現できる場所。
一方で、土地の伝統を継承する意味で参加する人。
血縁や隣近所のよしみというか、日常生活の延長で参加する人。
正装して一同に介す参加者の日常と非日常の関わり、
これが祭りを重層的なものにしている。
日本でも、昔からのしきたりや祭りの重要性というのは年々薄くなっている。
変化は常だ。
ただ、核となるものがいつもそこにあれば、それでいい。
遊んだり、お茶を飲んだり、散歩したり。何をしようとも、
今もなお祭りが続く大切さを感じられれば良い。
様々な人々が関心を持ち、伝統への評価が生じる事で、
祭りは新たな息吹を吹き込まれる。
サッカー場がお祭り会場だ。
芝生の上にたくさんのテント小屋。
喫茶店ではあまーいあまーいコーヒーをごちそうになった。
的に向かって、おじさんに弓矢を習った。
ズルをして前へ出てようやく、当たる。
おじさんはすごい。矢が早い、鋭くささる。完敗だ。
チンの人達の古くから伝わる骨とう品の展示場。
素晴らしくキレイな刺繍の布、動物の頭の骨、皆が一生懸命説明してくれる。
言葉は分からないけれど、一生懸命聞く。みんな笑顔があったかい。
夜のために練習をしているバンドのメンバーに会った。
同じ年の彼らは、「上を向いて歩こう」をギターで弾いてくれた。
何か弾いてよ、と言われてもお返しできないのが悔しい。
今度はあの舞台の上で披露しようと練習を心に誓う。
油ですべる登り棒に、挑戦する人達を見物した。
棒のてっぺんにはお金が見える。
ちょっと年上のお兄ちゃん達がグループで攻めている。
1人の上に1人が乗り、またその上に人が乗り、
上から滑り止めの粉がふってくるは、登る時に顔をけられるは、崩れ落ちるは、
散々でおもしろいけれど、毎回違う手を考えてくる所がすごくいい。
その土地に息づく自然を味わい、仲間と集い、はしゃぐ事に喜びを覚える。
自分の力を思いのたけぶつけられる、そんな空間を愛してる人々がたくさんいた。
その5「お祭り〜夜編〜」
子供はもちろん、大人だってウキウキしている。
レストランで夜ご飯を食べようとすると、
「娘がお祭りに出演するから早く閉めたいんだ」と言われてしまう。
皆がソワソワしている。
懐中電灯でも照らせない暗闇の中、顔は見えないが皆うれしそうだ。
一生懸命に練習してきた成果を出す子供達。
伝統的な衣装を着て、伝統的な音楽に合わせて踊る。
あれっ。1人だけ皆と反対の方向へ行ってしまう男の子がいる。
みんな笑って、口笛吹いて、手を叩いて。
そんな光景も何だかあたたかい。
みんなで参加しているのが分かるから。
圧巻は、ディスコティックな音楽にのって、
女の子達がウォーキングする“民族ファッションショー(命名)”。
色とりどりの多種多様な民族の服を身にまとい、レストランの娘さんが、
みんなが、お化粧をして、モデル張りのポーズをとっている。
そして、ラストは朝まで続くバンド演奏。
夜更けの村に「ホテル・カリフォルニア」
こんなに、奥の奥に来ても、若者は若者なんだな、と思う。
ミャンマー人、日本人、入り乱れて遊んでいる。
こんな私達は一体どんな存在なんだろう。
日本人には白人的要素がある。
ここで言う白人的な要素というのは、もちろん身体的特徴ではない。
生活して行く上で、自然と接し、吸収しているであろう白人文化の事だ。
私は日本人であって日本人じゃない。
例えば、今ミャンマーでアメリカ音楽を演奏している少年達は
他国の音楽文化からまた異なる要素を吸収していくのだろうか。
日本のように様々な出会いがあり、他国の文化と接触しながら文化の破壊構築を繰り返し、
発展したような国がある。
他国生まれのオリジナリティー溢れる音楽やファッションを模倣する事を平然と行える環境にある。
とにかく、前へ前へ進む。
その目覚ましい発展と快適な生活はありがたいものだけれど、
伝統文化というものがどんなに発展しても容易くは生まれて来ない、
また、守るという事がどんなに根気のいる作業なのかという事がここミャンマーに来て、肌で感じた。
日本の伝統が薄れ行かないように、カッコイイ日本民族の大人でいよう。
難しい話はさておいて。
さて、夜も更けた。
私も若者にまじり、お酒を飲んだり、バイクに乗ったりしよう。
酔っぱらって転んで見上げた空は、キラキラと輝く星で埋め尽くされていた。
ミャンマーという国では、人を介して、どんどん人を知り、
その温かさに感動し、新しい世界観の出会いに驚く毎日を過ごしました。
あの日あの時にミャンマーにいたという事は、二度と同じ事はできない、
そこに居合わせた人しか経験し得ない貴重な体験だったのだと思います。
このような機会を与えて下さった、出会った全ての皆様に対し、お礼の気持ちでいっぱいです。
「チェズ ティン バーデー☆」
また行きたい!
・現地報告書(舘 佳文・相本 真菜)
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