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ミャンマー友好の旅


現地報告書

「ミャンマー訪問レポート」

大西 彩

未知の国


大西彩さん。

 ミャンマーに行ってきたと周囲に告げたとき、面白いことにみな同じ反応を示した。「えっ!みゃんまあ?なんでまた?」と、目を丸くして言うのだ。現在、タイやバリ島など、東南アジアは気軽に行ける旅行先で、それらの国、地域に行くことは珍しくも何ともない。しかし、そんな中にあって、多くの日本人にとって、ミャンマーはまだ訪れる人の少ない、知られざる国のひとつといえる。
 ミャンマーの国の位置さえおぼつかない人は多い。さらに、ミャンマーについて知っていることといえば、旧国名がビルマだったこと、映画「ビルマの竪琴」の舞台だったこと、そしてアウンサンスーチー女史ぐらいなものなのだ。白状してしまうと、私もその中のひとりなのだった。学生時代にバックパッカーとして東南アジアの数カ国を旅したことはあったものの、そうやって訪れた他の国のように、ミャンマーは私を惹きつけることはなかった。いや、言い訳をさせてもらうと、当時はミャンマーに関する魅力的な情報を入手できなかったからなのだ。しかし、今となっては、すでに行き尽くされ、


ヤンゴンの巨大パゴダ、シュエダゴンパゴダ。お寺参りは日常生活の一部。

知られすぎた東南アジアの国々への興味は薄れかけていた。そしてその一方で、未知の体験への欲求はふつふつと心の奥で確実に芽生えはじめていた。そんなとき、ミャンマー訪問の誘いが来た。今考えると、訪問の趣旨や目的など全く気にしていなかった。ただ、この誘いを断る理由はどこにも見つからなかったのだ。
 6年前、アジアについてほとんど関心がなく、タイ料理さえ口にしたことのない私はひょんなことからタイを訪問することになったが、それがきっかけで東南アジアにはまってしまったという経緯がある。今回の旅行で、また未知の世界への扉が開かれるかもしれない。そう思うと、胸がわくわくしてくるのだった。

仏教とともに生きる人々


ヤンゴンの巨大パゴダ、シュエダゴンパゴダはいつ訪れても人で一杯。

 ヤンゴン国際空港で入国手続きをすませ、待合ロビーに足を踏み入れたとき、今まで見たことのない光景が私の目に飛び込んできた。萌黄色や黄土色などの渋い色をした民族衣装を身に着けた男たち。浅黒い肌をした頬に白い粉を塗った女たち。それは、今までに訪ねた他の東南アジアの国では目にしたことのない光景だった。ミャンマーには独特の文化がある、そんな当たり前のことに私は驚いていた。むしろ、そんなことさえ知らなかった自分にショックを受けていたのかもしれない。
 翌日訪れたヤンゴンの巨大パゴダ、シュエダゴンパゴダでは、ミャンマーを象徴するような光景を目にした。民族衣装のロンジーを身につけた老若男女が境内を巡りながら、其処此処の祭壇や祈祷堂で額を床につけ、祈りをささげている。その一方で、御堂の下で何をするでもなく座りこんでいる家族連れや居眠りをする男たちがいた。ミャンマーでは、寺院は公園のように人々が集う、憩いの場ともなっているようだった。古都バガンでは夜に寺院を訪ねたが、そのときも夕涼みに訪れた人やひっそりと祈りをささげる人たちで、境内は静かな賑わいを見せていた。ミャンマーの人たちにとって、仏教は完全に生活の一部となっているのだった。


ボージョーアウンサンマーケットの一部。マーケット自体は巨大な敷地で建物の中にある。

 ミャンマーでは寺院に参拝するとき、境内は土足禁止である。ただ履物だけ脱げばよいのではない。靴下やストッキングさえ身につけてはいけないのだ。これは、できるだけ素になることで仏陀に近づこうとするためなのか、あるいは仏陀への畏敬の念を示すものなのか理由は定かではないが、その徹底ぶりからも、ミャンマーの人々の篤い信仰心は推察できる。
 今回お世話になった日緬友好協会の会員の人々は、ミャンマーでもかなり裕福な層に属する人たちだった。ミャンマー滞在中、彼らとともにいくつもの寺院を訪ねたが、私たちの目的がただの観光だったのに対して、彼らの目的は当然のごとく、参拝であった。訪れるたびに必ず花を供え、お布施を差し出す。そんなに何を祈っているのだろうかと訝るほど、仏像の前で長時間額ずいて動かない。彼らの中には、郊外に避暑を目的とする別荘をもつ者もいたが、それとともに田畑も所有していた。自給自足なのかと問うと、そこで収穫した農作物を僧院に寄進するのだという。物質的には貧しいミャンマーにあって、恵まれた生活を送ることのできる人たちにとっても、仏教への帰依は例外なく強いもので、それは信仰をもたない日本人にとってはとても計り知ることのできないものだった。

大陸の国、ミャンマー

 ミャンマーは、他のアジアの国々と同様に多民族国家である。ヤンゴンの国立博物館には国内の民族を紹介する展示室があったが、そこは、少数民族も入れると100以上もの民族を有するミャンマーならではのコーナーで、それぞれの民族の衣装を着せられた男女ペアのマネキンが何体も展示されていた。どこがどう違うのか外国人にはよく分からないほど似通った衣装も多かったが、中国と国境を接する北方の民族の服装は明らかに中国のもので、そのマネキンの顔つきまでもがどことなく東洋系なのだった。

寺院の中で食事する女性達。


ヤンゴンの町の中。

 ミャンマーは、また、西はインドとバングラデシュ、東は中国、ラオス、タイと国境を接し、そうした近隣諸国からの影響をもろに受けてきた、大陸の中の国でもある。しかし、そうしたことは博物館に行くまでもなく、ミャンマーを旅するだけで実感することができた。ミャンマー料理を食べてみると、中国料理に似た、油で炒めた料理や、タイ料理やインド料理ほどではないが、さまざまな香辛料を使った料理が多いことに気付く。ミャンマー中部の都市、マンダレー郊外では馬車に乗ったが、御者たちがみな褐色の肌に彫りの深い顔立ちをしていた。不思議に思って尋ねてみると、彼らはみなバングラデシュ人なのだった。また、ヤンゴン最大の市場であるボージョーアウンサンマーケットでは、インド系や中国系の人々が経営する店舗が少なくないことに気付いた。実家が宝石商を営んでいるというミャンマー人によると、官僚はミャンマー人で占められるが、商業に携わる人には中国系やインド系が多いのだという。私は、タイを旅行したときに、タイ人の友人たちが民族に関するブラックジョークをしきりに連発していたことから、タイが多民族国家であることを実感したのだが、その時と同じくらい、このミャンマーでの発見は新鮮な驚きだった。大陸の国であるがゆえの奥深さや豊かさは、同時にそれが厄介な問題をもたらすことにもなるのだが、、日本では絶対に感じることができないものだけに、うらやましさに近いような、非常に心惹かれるものを感じるのだった。

ミャンマーと日本


マンダレーの僧院。ここでは二〇〇〇人ものお坊さんが修業している。

 今回のミャンマー滞在は一週間という短いもので、この一回の訪問ではミャンマーのごく一部分しか知ることができなかったかもしれない。民族衣装を着て、ぞうりを履き、顔にはタナカの粉を塗り、刺繍や飾りが施された布製のシャンバッグを肩に掛けて歩く人々。首都のヤンゴンでも高層の建築物が見られるのはほんの一部分で、車で10分も郊外へ向かえば、舗装をしていない路地を女たちが頭に荷物を載せて歩いているのを見ることができる。地方都市に行けば、豊かな田園風景が広がり、葉で編んだ高床式の家々が建ち並んでいる。こうした風景を見る限り、ミャンマーは伝統が残る、緑豊かな仏教の国という印象だ。伝統から切り離されたことで、現在の経済的な繁栄を手にすることのできた日本と比べると、伝統とともに営まれているミャンマーの人たちの暮らしはうらやましい限りである。しかし、確実に変化は訪れている。ロンジーの着用率が9割を超える中にあって、ジーンズを履き、小さめのTシャツを身につけて街を闊歩する若者たち。小学校ですでに導入されている英語教育や、広がりつつある貧富の差。こうした状況を見るにつけ、その進捗はゆるやかであろうが、他の東南アジアの国々と同じように、ミャンマーが経済の発展に向けて、その姿を変えていくことは間違いないことのように思われた。


寺院の中ははだしで歩く。

 ヤンゴン市内の、幼稚園から高校まである学園を訪問したとき、中学生の少年が日本について尋ねてきた。緑の多いヤンゴンと違って東京は高層ビルだらけであること、農業国のミャンマーとは異なり、企業で働く人が多いことなどを説明すると、少年はまだ見ぬ国を憧れの混じった気持ちで想像しているようだった。ミャンマーと日本はどちらも双方の情報に乏しい。両国のより多くの人々が、お互いの国について知る必要があることを今回、痛感したが、そのためにも、この視察旅行の目的であったところのミャンマーと日本の学生の交流プログラムが一日も早く実現することを願わずにはいられない。


・現地報告書(飯森好絵大西彩
写真集


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