ミャンマー友好の旅
現地報告書
ミャンマー友好の旅レポート
芝 隼人
2002年2月16〜21日の間、私は大地さん、大星さんと計3名でとミャンマーに行ってきた。私はミャンマーという国についてはほとんど何も知らないまま出発当日を迎えてしまった。今回参加するのは私が大地さんの息子さんの同級生であり、それがきっかけで今回の紀行に参加することになったのだ。
2月16日 1日目 東京〜ヤンゴン
成田空港からタイ国際航空に乗り、バンコク経由で夕刻、ミャンマーの首都であるヤンゴン国際空港に到着した。飛行機を降り、ターミナルへ向かうバスを待つがなかなか来ない。待つこと5分、やっと来たと思ったらなんと小田急バス!しかも塗装はそのまま日本仕様である。なぜ日本のバスが?と思い、よくよく周りを見渡すと日本のバスだらけである。30年位前の日本にでも来てしまったかのような錯覚を覚えながらミャンマーへ入国する。
ここの国の通貨はチャットという単位で1ドル=700チャットという具合である。外国人は入国する際に200ドルを不換紙幣と交換して入国しなければならないというおかしな制度があったけれども、問題なく入国することが出来た。(さすがに軍事政権国ということで武装した軍人さんの目は怖かったが)
ホテルまではチャーターしておいた車で移動することになり、車に乗り込んだ。さすがにヤンゴンは首都ということもあり、道路は舗装されていた。走っている車はやはり日本車が多く、ここでも日本のバスがたくさん走っている。あと、きづいたことには、こちらの運転手は本当にクラクションをよく鳴らす。10秒に一度位ならすといっても過言ではないほどだ。《車を持っているミャンマー人にお土産を持っていくときは改造用のちょっとうるさいクラクションを持っていくと喜ぶかもしれない(笑)。》そして30分ほど暗くなりゆく道を走っていくと、左前方からきれいな光を放つ建物が見えてきた。これがショーダゴンパゴダであるらしい。その煌びやかさに感動しながらソフィテルホテルに到着した。
ホテルでは、ミャミャウィンさん、ナインさん、ミミさん、ウィンナさんが我々を出迎えてくれ、私は大地さんに紹介を受けてから、ホテルで食事をし、少しお酒を飲んでから、その日は部屋で休むことになった。
2月17日 2日目 ヤンゴン
午前7時、起床。昨日お酒を煽り、また普段は起きない時間のため体が少し重かったが、昨日会ったウィンナさんがヤンゴンを案内してくれるということで、我々はロビーに集合した。
最初に向った先は、ミャミャウィンさんが支援しているという孤児院へ向った。到着すると数名の男の子がセパタクローをしていた。我々は2階建ての建物の2階に通され、いろいろな話を聞き、1万円もあれば30人の子供達の、かなりの日数分の食費になるなどといわれ生活の水準の違いを目の前にして正直言って少し戸惑った。写真をとってもいいということで大地さんが写真を取り始めたので、私も取ろうと思ったが、様々な感情が働いて取ることができなかった。大地さんはさすがジャーナリストだなと思った。
そんなことを考えながら我々は孤児院を後にし,水に浮かぶお寺に向った。入り口までは船にのらねばならず、船に乗って、入り口へ向った。すると驚いたことにとても多くの人でにぎわっている。ミャンマーのレクリエーションは寺院ということで,そこで弁当などをとる家族が多いのである。皆とても楽しそうで心の底から仏教を愛しているのだなと思った。また、ミャンマーではお寺には裸足で入らねばならず、そのためとてもきれいである
一通りお寺を見物した後、我々は一時ホテルに戻り、次にショーダゴンパゴダにいった。これは御墓であるのだが、とりあえずとても大きい。寝そべっている大仏もいた。その数の多さになぜこんなにも多くの仏像を作ったのだろうと感じた。またこちらの人は、自分の生まれた曜日を大切にする習慣があるらしく、そこは日本の習慣とは異なるところだと思った。
その夜はウィンナさんお薦めの店に行ってミャンマーの料理を食べた。しかし、ミャンマーの人は本当にお酒が好きである。この日もミャンマービールをたくさん飲んでしまった。
2月18日 三日目
この日は朝8時のフライトで地方のパガンへ移動するため,早朝5時に起きた。昨日は大地さんと最後まで飲んでいたのでつらかった。大地さんは余裕で朝食を取っていたので、すごい体力だなと感心した。そしてミャンマーのアイスクリーム会社の御曹司であるナインさんとともに、我々は空路パガンへ向った。パガンまでは約1時間程で到着したのだが,困ったことに迎えの車が来ていないのだ。仕方なく別の車に乗り,パガンホテルへ行くことに。
このホテルは,元は宮殿として使われていたらしく,とても豪華なホテルである。とても広いので滞在中は何度も迷ってしまう程であった。
パガンというこの土地は乾燥地帯であり,水を得るのに困難な地方である。ここの人々は、水を汲みに何時間も歩いて井戸まで行かなければならないらしく、日本の水道水を使用している我々からは想像できない世界であり、木もあまり生えておらず,人が生活するのには困難な地域である。また,パゴダと呼ばれる御墓がいたるところに点在している。
ホテルで一息ついた後,ポパ山と呼ばれる山寺へ向った。その途中,ある民家に立ち寄ったのだが、瓦葺のような家に住んでおり,電気もガスも水道もない。そこで牛に豆を挽かせて油を取っている作業を見て,人間の知恵というものを実感してしまった。また、この人たちはとても親切で、お土産までくれたのには感動した。そして車に2時間程揺られると,切り立った崖の上にあるお寺が目に飛び込んできた。遠目から見るにはエレベータでもないと,とても登れそうにない。入り口まで行くと,予想通りのとても急な階段が我々の前に立ちはだかった。我々は覚悟を決めて、40分くらいかけて、ようやく山頂にあるお寺へ到着した。少し水分を補給しながら休憩し,下の景色を見るとすごく見晴らしがよい。よくもこんなところにお寺を作ったものだとおもわず感心してしまった。それにしてもこの辺の町の人々は毎日のようにこの階段を登るのはすごい。ここの仏様にも挨拶をした後、我々は降りることにした。さすがに登るよりは楽だったが少しこわかった。なぜなら、猿がたくさんいて我々を驚かすので少しどきどきしながらやっとの思いで降りたからである。
そして、ポパ山の麓の町で昼食をとってから、次に,ホテルの近くにある河へ行った。こちらの河はどの河も茶色く濁っており、あまり魚などいなそうだが,河辺で女の子達が底引網漁をしていた。我々も微力ながら網を引くのに協力したが,つれたのは中型の魚が2,3匹と他はシラスのような小魚であった。でもこの辺の人にしてみればそれで十分なのかもしれない。
また、我々の船を先導してくれた男の子たちの中に8歳くらいの少年がいて,すごく人懐っこい子であったので,持っていたキャンデーをあげるととても喜んでくれたのでうれしかった。船に乗っている間、太陽に当たっているのがとても気持ち良く、それを大地さんと大星さんの二人に話すと、「芝君は意外と古風で太陽信仰があるんだね。」といわれ、その通りだなとおもった。なぜなら,私はわりと現実主義的なところがあり、宗教は、もちろん人々にとって、とても重要なものであると思うが、太陽はなくては人間は生きていくことが出来ない。だから私は、太陽という存在にとてもありがたいと感じるのだ。
そんなこんなで少し哲学の風を感じながら我々は、中洲にビアガーデンがあるというので少し立ち寄ることにした。中洲に足を踏み入れると、まるでどこかの海岸にでも来たかのようにやわらかな砂の感触が足に伝わった。すると大星さんが、「この砂を売れば商売になるよ!」といったので、面白いところに目をつける人だなと思った。そして恒例になったミャンマービールを飲みながら次回は大勢で来よう、などと話をしているうちに日が暮れかけてきた。
ここパガン地方では、サンセットがとてもきれいなことで有名であり、それを見に我々は、とある少し大きめのパゴダへ行った。そこにはすでにサンセットを見ようと多くの観光客が訪れていたので、我々は少し危険であったが、誰もいない頂上まで上って見る事にした。そうするとちょうど真っ赤なまん丸の夕日が山の向こう側に沈みかけていた。それは本当にきれいで、ちょうどカメラをホテルに忘れてしまったのが残念であった。
そしてホテルに戻り、プールで一泳ぎしてから食事に向かう事になったが、せっかくだからということで馬車に乗って食事に行くことになった。もちろん馬車に乗るのは始めてで、馬が少しかわいそうだなあと正直,感じながらレストラン?に到着した。そこで出てきたのはミャンマー料理で、特徴は、豆を使った品目が多い、脂っこい、品数が多い、量が多い、という感じで味は濃い目の味であるので好き嫌いはある料理かもしれない。私はおいしく頂くことができた。毎日はつらいかもしれないが…。
そしてこの日は寝不足と次の日もまた5時起きということで、軽くホテルで2,3杯飲んで11時頃就寝した。
2月19日 4日目 インリレーク
朝5時起床。早起きは少し慣れてきて元気いっぱいだ。我々は再び空港へ向かい、空路、ヘイホー空港へ到着した。ミャンマーの国内線は未だにプロペラ機であるため、離着陸は少しスリルがあるが、それもまた旅の醍醐味であるのかもしれない。
空港からはまず洞窟のなかにあるお寺に向うことになった。そこに向っている途中、運転手が小汚い民家に車を止めた。あやしい場所だなと感じながら、小屋に入れと言うので入ってみると、なんとそこは売春宿であった。女の子達が数名ならんでいたのだ。我々はすぐに外へ出たが、外から建物を見ると、ドアには外から鍵が掛けられていたので、きっと女の子達が逃げ出さないようにするためのものだろうと思った。人身売買などが未だに行われている現状を目の当たりにしてしまうと、とても嫌な気持ちになった。
そして、気持ちを新たに我々は車に乗り込み、ようやく洞窟に到着した。洞窟の中には、金粉が貼ってある仏像が何十体とあり、いったいなぜこんなにも仏像を作ったのだろうか?洞窟は比較的大きく、奥まで続いていて、途中で閉鎖されていた。その先へ行くと戻って来られなくなってしまうらしい。ナインさんが少しはしゃいでいたのでこちらも楽しくなってしまった。
そして、フーピンホテルへと向った。ホテルまでの道のりは山道で、途中タイヤがパンクしたりしてしまったが、運転手さんが手馴れたようにタイヤを交換していたので、無事ホテルに到着することができた。ついた頃にはすでに夕刻でこの日はホテルのレストランで夕食を取り、その後、タウンジーという町へ向った。この日は、皆でビリヤードをやろうと言うことになり、探すがなかなか見つからず、ようやく見つけたと思ったら、それはスヌーカーであった。知らない人は、ビリヤードの大きい盤と思って差し支えない。そこには、地元の人達が15人くらい集まっていて、我々はするのを断念しようとすると、そこの人達がやっていけと言う感じだったので、私と大星さんはスヌーカーに初挑戦することになった。大地さんはオーストラリアでやったことがあるらしかった。最初は、私と大星さんで対戦することになり、二人ともビリヤードがソコソコ出来るので、楽勝だろうとなめていたら、それは大間違いで全然ポケットに球が入らない。地元の人達にも笑われてしまう始末であった。しかし、地元の人達と対戦を重ねるごとに二人とも上達し、対等に戦えるようになった。大地さんは、さすがに上手…だったですよね、大星さん???
気分良く、我々,少なくとも私と大星さんは満足してスヌーカー場を後にして、タウンジーホテルの中にあるピアノバーに行った。このピアノバーは結構広い店で、ステージがあり、そこで専属の歌手数名がお客さんに歌を聞かせ、客はそれを聞きながらお酒や食事を楽しむといった店である。ナインさんは前に何度か来たことがあるというので、歌手の女の子が席について一緒に飲んでくれた。私と年齢が近いこともあり話が弾み、ミャンマー語を教えてもらいながらお酒を楽しんだ。すると、何か一曲歌ってくれと言ってきたのでどうしようと思ったが、覚悟を決めて大地さんと一緒にビートルズのlet it beを歌ったのだが、歌詞を覚えているはずもなく、途中からはラ・ラ・ラ〜♪でとうしたのだが、日本人が来てしかも歌うのは珍しいらしく、思いのほか反響が良く、お酒の力も手伝って気持ち良くなってしまった。そして、明日はインリレークに行く予定で、その歌手の女の子たちがぜひ一緒に行きたいと言うので、明日の朝会うことを約束して、我々はホテルに帰ることにした。
2月20日 5日目 インリレーク
この日は7時ごろに朝食を取ってからナインさんと大地さんは昨日の女の子を迎えに行くことになっていて、1時間ばかり時間が空いてしまったので、私と大星さんはホテル付近を散策することにした。「旅は歩け」とよく言ったものだが、今までの移動は飛行機や車だけであったので、この散歩は結果的にとても有意義であったと感じる。ホテル付近はいわゆる観光地でないため、英語もほとんど通じない世界で、道に迷ったりしたが、親切な人に助けられお茶までご馳走になり、何よりこの地方の人々の生活に触れられたということが我々にとってものすごい収穫であったと感じる。お茶をご馳走になった民家に小学生か中学生位の女の子がいて、大星さんが日本の一文化である折り紙を教えてその子達が喜んでいる姿を見て、私は「これこそ国際交流だ」と感じつつ、ミャンマー人の特性を必死に探っていた。
そして時間になったので、ホテルに戻ったのだが、迎えに行ったチームはまだ戻っておらずホテルの前で待つことにしたのだが,ホテルの前に小さな川があった。ちょうど日本でいう三鷹台駅付近の神田川のような川であるのだが、「この川は異常に汚いな」と思ってしばらく眺めていると、ほんの数分の間に様々な人がゴミを川に投げ入れていくのである。後で聞いてみると、ミャンマー人はゴミをどこにでも捨ててしまう気質らしく、日本在住のミャンマー人は、やはりゴミのことで相当もめるようである。部屋は汚いけれども清潔大好き日本人の私から見ると、やはりこれをみると、悲しくなってしまう。やはり日本は先進国であるから環境に対して取り組むのは当たり前であるが、はっきりいって発展途上国の人もゴミ処理などの整備が遅れていてもこの問題に関して考えていかないと、いずれ世界から取り残されていってしまうだろう。また、先進国も他の国々が見習っていかなければ、と思う位の対策を考えなければならない。と紀行文であるのになぜか、京都議定書になってしまったようだ(笑)。
こんなことを考えていると、お迎えチームが帰ってきた。車には昨日の女の子三人が乗っていて、それでは、ということで我々はインリレークヘ向った。
インリレークまでの道のりは水路による移動しかなく、船に乗ることになった。船というのは5人乗りくらいの小さなエンジン付きのボートで我々は男4名、女3名であったので、2艘を借りて行くことにした。30分から1時間位乗ったであろうか。風と水しぶきがとても気持ちいい。この湖は思ったより広くて、どこまでが湖かわからないようなところだ。そして、ようやく第一の目的地と思われる所に辿り着いた。たぶんどこかの中洲みたいなところであったのだろう。そこから歩いて寺院に向うのがコースらしいのだが、広場があって、少年達がバレーボールをしていたので我々、特に私は運動が好きだったのでみんなを誘って、遊んだがやはり現地の人には勝てなかった―。そしてその後、我々は歩いて島の奥に寺院があるというので歩いて向うことになった。しばらく歩くと露店がいっぱいあっておばあさんが紙幣を出してきたので「この人、お金でもくれるのか?」と思ったが,それをよく見るとJAPANESE LUPIEジャパニーズ・ルピーと書いてあった。どうやら戦時中に日本軍がミャンマーへ侵攻した時に発行したものであるらしく、価値はないだろうが記念になるだろうということでそれを買った。(お金をお金で買うというのは不思議な感覚であ ったが…)さらに先へ進むこと30分、ようやく寺院に辿り着いた。仏様にお祈りをして子猫がいたのでじゃれた後、寺院修復の寄付を受け付けているらしく我々はいつもの事だと思って特に気にも留めていなかったのだが、ミャンマー人の女の子3人は寄付をしていたようである。こんな若い子でもそういうお布施をするとはと思って少し感心した。
そして我々は船に戻り、昼食を近くのレストランで取り、お土産屋でしばらく買い物をしていると時間はもう3時位になっていた。女の子達は仕事があるため戻らなければならないといっていたので、先に帰して我々は温泉があるというのでそこに行くことにした。帰り間際に女の子がスナック菓子のようなものをくれて、これはなんだろう?と思っていたらナインさんが鳥にあげる餌だよ、と教えてくれた。そういえば船に乗っているときにカモメみたいな鳥(ミャンマー語ではシゲといっていた)がいたなあと思い、船に乗り込んだ。我々は男4人になり、船に乗って30分もするとシゲが近寄ってきた。餌を上空に向って投げるとシゲはナイスキャッチ!その正確なキャッチングに感動を覚えながら温泉に向う。
車などを乗り継いで、1時間位かけ、ようやく温泉と呼ばれる場所に着いた。外観は日本のスパみたいな所で我々のほかに客はいないようだったので、我々が入り口に向うとチンピラみたいな兄さんが出てきた。少し怖いなーと思っていたがその人はとっても優しい人でこちらのわがままをいろいろ聞いてもらったりした。とりあえず、風呂を見せてもらうことにして見てみると、「ヴーン…」3つのジャグジーがあるのはいいがお湯は濁っていて、虫の死骸がたくさん浮いていた。さすがにこれに入るのは…とためらっていると、お湯を入れ替えてくれることになったので、せっかく来たのだし、テラスでビールを飲みながら待つことにした。そして、待つこと30分、ようやく入れるようになったので我々は男同士水入らず入った。ビールを飲みながら入る温泉は最高で、これまでの旅の疲れが全部吹っ飛んだくらいリラックスした。2時間くらい入浴してすっかりふやけてしまったので、一度ホテルに帰ることになった。
ホテルでしばらく休憩した後、我々は再びタウンジーへ向かった。確かこの時の車だったと思うが、大地さんが話してくれたことはとても印象的であった。その内容というのは、
「人間の成功とは何を基準に成功というのだろうか?金持ちになることか・名誉をとることか・ 私は今までそれについてずっと考えてきたけれども、その答えは、結局はその人の判断や価値基準によるところが大きいだろう」というものであったと思う。他にも今回の旅では大地さん・大星さんの考え方や哲学も聞けたので、とても勉強になり、今後の私の生きていく上での参考になったことを確信する。
話はそれてしまったが,我々は再びあのピアノバーへ向った。どうしてもそこに行かなければならないという訳ではなかったのだが、小さい町であったため他に行く場所が無かったのだ。店に入るとまだ時間も早かったせいか、あまり客は入っておらずしばらくお酒を飲んでいた。時間が経つにつれだんだんお客さんが入ってきて、女の子に歌ってくれとたのまれた。実は、昨晩ホテルの部屋でタイタニックのテーマ曲を練習しておいたので、快諾した。ステージに上がり、ミャンマー語で挨拶と自己紹介をし、「つかみはオッケー」と思いながら、イントロが始まった。熱唱。(あんちょこを見ながらだが)女の子が花を首に掛けてくれて嬉しかった。そして我々は勢いに乗り、大星さんも坂本 九の「上を向いて歩こう」を唄い、大地さんも…舞台は我々の独壇場となっていた。すっかり酔っ払ってしまい車に乗ろうとするとお店のオーナーが家まで送ってくれといったので送ると、家に招待したいというので我々は招かれた。確か午前1時くらいになっていたので家の人には迷惑であったと思う。そしてまたお酒とミャンマーの葉巻をご馳走になり、夜が明ける前なんとか無事に帰ることができた。ちなみに大星さんとナインさんはとてもおもしろかった。途中から記憶がないらしいが…。そしてこの日を終える。
2月21日 6日目 ヤンゴン
昨夜のお酒が少し残っている中、我々は起床し一路空港へ。そしてヤンゴンに向った。そう、明日の朝バンコクへ向うため,今日は実質ミャンマーの最終日なのだ。ナインさんとはここで別れることに。
昼少し前に我々はホテルに到着し、少し休んでから、マラさんという人と食事する約束だったので合流して、一緒にタイスキのようなものを食べた。とても明るい人だった。
午後は、買い物をしようということになったので、マーケットセンターへ行くことになった。最初は3人で回っていたがあまり自由に周れないということで、別々に見て周ることにした。一人になったと思ったらいきなり二人組みの少年が近寄ってきた。日本語がものすごく上手である。物売りかと思っていたらそうではないらしく、欲しい物を探してくれるガイド役になってくれた。彼らは親身になって探してくれ、途中で物売りのおじさんからお菓子を取ると、自分にも取れというので取ると「走れ!」というので走った。おじさんはミャンマー語で叫んでいたが無事逃げ切り、疲れたのでビールを飲んでいると待ち合わせの時間になってしまった。もう少し彼らと遊んでいたかったが、またいつかと思って彼らと別れるときに、もうチャットはいらないな、と思って渡そうとすると「いらないよ!」と言われたのでとても嬉しかった。ちなみにここで買ったものは、
タバコ1カートン 3000チャット(1ドル=700チャット)
帽子 5ドル
シルバーのアクセ 12ドル
Tシャツ5枚 3000チャット
お茶 500チャット
そして、ホテルに戻りプールでまた泳いでから、部屋で少し休むと、もう夕方になっていた。ミャンマー最終日の夜はミャミャウィンさんの家でパーティーを開いてくれるということで我々はそのパーティーに招かれることになった。ミャミャさんの家では様々な人が来ていて、料理もおいしく楽しい一時を過ごすことができた。ミャミャさんの娘さんはかわいらしかった。そして名残惜しくもパーティーを後にする。
ホテルに戻り、大星さんはさすがに昨日の酒でダウンしていたが、私と大地さんは懲りずにホテルの下にあるミュージックパブへ足を運んで、カラオケがあるので行ってみた。そしていろいろ語り合ってミャンマーの最後の夜を過ごした。
2月22日 7日目 ヤンゴン→バンコク
ついにミャンマーの最終日がやってきた。この旅で私は、最初は全く何もわからないままここにきたのだが、この国に来てわかった事は、まだこの国は他のアジアの国からは遅れていて、世界最後発発展途上国に認定されたのも納得できる。だが今回の旅で出会ったミャンマー人の方達がこの国を民主化に導き、経済を発展させていくことを願い、また私は来年からバンコクへ行くので、隣国であるこの国をまた訪れ、見守って行こうと思う。そして、今回の紀行に誘ってくれた大地さんと、大星さんに心からを感謝したい。
・現地報告書(大星雅司・芝 隼人)
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